2021四国旅行記3日目その13~坂本龍馬と木戸孝允の性格の違いが文章によく表れている~

坂本龍馬記念館の2階の海の見える・ぎゃらりぃにやって来た。
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外から見るとパンフレットに載っているこんな感じだ。最初は、こちらが新館と思ったくらいだから、本館も大幅なリニューアルをしたのだろう。
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真正面から見える海を見た。
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左手(西側)を見た。西浜である。やはり、ちょっと波が荒い。
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戻ることにした。
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エレベーターで下に降りようとなったが、デジカメの充電も少しできたことだし、まだ常設展示室で撮りそこなっている写真もあるであろうから、写真を撮りに常設展示室に戻った。
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こちらは、井伊大老襲撃を描いた錦絵である。明治維新へとつながる出発点でもある桜田門外の変である。
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当日(1860年3月24日)は季節なずれの雪が降っていたとのことだ。
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これらのうち、一番手前にあるのが土佐勤王党盟主である武市半平太の画である。
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こちらは、吉田東洋暗殺犯を追う、公用簿である。土佐藩京都藩邸で探索を任務とするお目付け役の人々が記したものである。
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こちらは、薩長同盟の表書、である。木戸孝允から坂本龍馬にあてたものである。薩長同盟は、1866年1月21日か22日に結ばれたのだが、当日の内容を何も記録していなかったため、23日に木戸孝允が6か条にまとめて坂本龍馬に確認を求めたものである。
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こちらは、薩長同盟の裏書、である。坂本龍馬から木戸孝允にあてたものである。坂本龍馬は寺田屋で伏見奉行の役人に襲撃を受け、手に大けがを負い、薩摩屋敷に匿われていた。そのため、2週間後の2月5日にこの裏書に書いたのである。
ちなみに、この手の怪我で指を失ったとも言われ、それが坂本龍馬の写真で懐に手を入れているのは、銃を握りしめているのではなく、指を隠しているという説もある。
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表書と裏書を比較すると、木戸の表書は心配性的な感じで書かれていて、坂本龍馬の裏書は簡明で要領よく書かれていて、2人の性格の違いがよく出ていると言われている。
ただ、残念なことに、この表書と裏書は共に複製品である。本物は宮内庁書陵部が所蔵している。
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こちらは、龍馬を襲った伏見奉行所の報告書である。1866年1月24日のもので、寺田屋で坂本龍馬と三吉慎蔵を襲った伏見奉行所役員が京都所司代の役人に送った報告書の写しである。この書類の内容は2017年に鳥取藩士の記録の中から見つかったそうだ。
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こちらは、姉の乙女にお龍を紹介したものである。1865年9月9日のもので、複製品である。本物は京都国立博物館に所蔵されている。書き出しの所では、土佐のような所で、何の志もない所でぐずぐずして日を送るのは大バカ者だ、と論じている。
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こちらは、薩摩藩と手を結ぶ複雑な心境を呼んだ詩、である。1866年1月の木戸孝允の詩書である。幕府方の主力だった薩摩藩と手を結ぶ木戸孝允の複雑な心境が最後の一行にまで表れている。木戸の心配性的な性格がここでも表れているのだろう。
何やかんやいって複製品が多いなと思いながら見ていたのである。

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