2022飛騨高山旅行記1日目その22~高山陣屋の御白州から米蔵(資料館)へ~
高山陣屋の犯罪者か否かの取り調べや判決の言い渡しをする場所である御白州に来ていた。
責台と抱石という拷問道具である。三角形の角材を並べてその上に囚人を座らせて膝の上に抱石を乗せて取り調べるものである。痛そう。
もっとも、拷問道具は高山市民を威圧するために置かれたもので実際にはこの場所ではなく、牢屋内(高山陣屋内ではなく別場所)で拷問が行われたとのことだ。
高山陣屋の南東方面である。陽射しがキツイ。
ここから御蔵(資料館)に向かうことにした。
蔵はたくさんある。
まずは順路に沿って九番蔵から入った。
昔の高山の絵図があった。1586年から飛騨を治めていた金森氏は1692年に出羽国上ノ山(現山形県上山市)へ国替えとなり、その後、幕府直轄領となった。この絵図は金森氏時代の城下町を描いたものだそうだ。
1692年ころの飛州高山城の絵図である。
御蔵は元々高山城三ノ丸にあった米蔵だが、代官所設置に伴い高山陣屋に移築された。
こちらは幕府直轄領時代後期の高山の様子を描いている。高山城の北にあった武家屋敷はほとんど壊され更地になっている。
高山城の濠の一部は現在も残っているようだ。
江戸幕府の代官・郡代に任務が書かれていた。代官・郡代は手付・手代など20~30人と地元採用の地役人数十名の職員で任務にあたっていた。
ここで代官よりも郡代の方が、役高や江戸城での詰所が異なるほど格式が上位であることを初めて知ったのである。
蛤刃が飾られていた。
九番蔵から四番蔵へと移った。
年貢の取り立ての図が飾られていた。幕府直轄領だからテレビドラマの時代劇に出てくるような悪代官はいなかったのだろう。知らんけど。
年貢米俵である。もちろん、見本で中は空っぽであろうと思っていたら、もみ殻が入っていると下の方に記載があった。確かに、空なら上手く積むことが出来ない。
天領俵とも菊俵とも呼ばれたそうだ。玄米四斗に込米一升を入れて一俵としたとのことだ。
九番蔵を出てきた。暑い。外には薄い板が置かれていた。
先程の薄い板はこのように屋根に使うのである。
つまり、高山陣屋の屋根は全て木を割った板で葺いた板葺きで、これを榑葺きというそうだ。屋根の形態や建物の様式によって3種類の葺き方が行われているとのこと。
また、大割、小割、稜取り(そばとり)という工程で先ほどの薄い板を作っていく。
クロベやスギ、サワラの木が置かれていた。
隣の三番蔵へと向かったのである。
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